「映画ジャンル論」加藤幹郎 (平凡社)
異色の映画論で楽しめた。
本書はハリウッド映画を中心に,主に1930年代から1970年代のジャンル映画を論じている。
そもそもジャンル映画とは筆者によれば,
『スタジオ・システム下で製作配給公開されたフィルムのことで,映画会社各社は自社製品をよりよく売るために人目を惹くラベルをはる必要が出てきた。それがここでいうジャンル』
であり,本書の目的は,
『ジャンルなるものが作家なるもの(映画監督,撮影監督,脚本家,作曲家および音響担当者,プロデューサー等)の個人的資質とその統御を超えて,どのように一本のフィルムの支配的原理たりうるのか。作家は自らの主題とジャンルの要請との間でどのような選択を行なうのか,一人の作家と一本のフィルムの充実した美しさの中で,超作家的,超フィルム的要素はどのように機能するのか。ジャンルは時代と作家の函数としてどのように形成されるのか。そもそもジャンルとは何なのか。そうした問いに答えながらハリウッドの諸ジャンルを規定する過不足のない財産目録を作ることである』
と言う。
ちなみに著者が扱う十種類のジャンルとは
・「狭義では探偵映画,しかも冷徹非情のハードボイルド映画で,同時にSF映画や西部劇を構成する横断的なスタイルであるフィルム・ノワール」
・「道化喜劇映画」
・「日本のちゃんばら映画に対応する米国流の時代劇,剣劇であるスワッシュバックラー映画」
・「ヴェトナム戦争映画」
・「ファミリー・メロドラマ映画」
・「ファミリー・メロドラマは女性が男性に勝ちを譲り続ける話だが,逆に男性が女性に手も無くやられる話であるスクリューボール・コメディー映画」
・「小さな死としてのエクスタシーを提示するポルノ映画と大きな死を提示する恐怖映画」
・「ギャング映画」
・「ミュージカル映画」
・「西部劇」
である。
これまでに筆者のような観点での映画批評がなかったせいか,非常に新鮮に読むことができた。

本書はハリウッド映画を中心に,主に1930年代から1970年代のジャンル映画を論じている。
そもそもジャンル映画とは筆者によれば,
『スタジオ・システム下で製作配給公開されたフィルムのことで,映画会社各社は自社製品をよりよく売るために人目を惹くラベルをはる必要が出てきた。それがここでいうジャンル』
であり,本書の目的は,
『ジャンルなるものが作家なるもの(映画監督,撮影監督,脚本家,作曲家および音響担当者,プロデューサー等)の個人的資質とその統御を超えて,どのように一本のフィルムの支配的原理たりうるのか。作家は自らの主題とジャンルの要請との間でどのような選択を行なうのか,一人の作家と一本のフィルムの充実した美しさの中で,超作家的,超フィルム的要素はどのように機能するのか。ジャンルは時代と作家の函数としてどのように形成されるのか。そもそもジャンルとは何なのか。そうした問いに答えながらハリウッドの諸ジャンルを規定する過不足のない財産目録を作ることである』
と言う。
ちなみに著者が扱う十種類のジャンルとは
・「狭義では探偵映画,しかも冷徹非情のハードボイルド映画で,同時にSF映画や西部劇を構成する横断的なスタイルであるフィルム・ノワール」
・「道化喜劇映画」
・「日本のちゃんばら映画に対応する米国流の時代劇,剣劇であるスワッシュバックラー映画」
・「ヴェトナム戦争映画」
・「ファミリー・メロドラマ映画」
・「ファミリー・メロドラマは女性が男性に勝ちを譲り続ける話だが,逆に男性が女性に手も無くやられる話であるスクリューボール・コメディー映画」
・「小さな死としてのエクスタシーを提示するポルノ映画と大きな死を提示する恐怖映画」
・「ギャング映画」
・「ミュージカル映画」
・「西部劇」
である。
これまでに筆者のような観点での映画批評がなかったせいか,非常に新鮮に読むことができた。
